今回は「囲碁と日本人」というタイトルにしてみました。
・日本は文化的に碁に向いている?
──素直な日本人と、徹底議論の欧米人
もう20年以上も前ですが、私は、アメリカ人と囲碁を打ったことがあります。
私のほうが少し強かった(と自分では思った)ので、対局が終わってから反省会を試みてみました。
「この手は、ここに打った方がよかったと思います」と、相手の失敗を指摘してみたわけです。すると彼は「僕はそうは思わない」と返してきました。
一瞬絶句した後、「でも、ここに打っていれば、ここがこんなにいい結果になるでしょう?」と言い返してみました。
すると彼からは「そんなにいい結果だとも思わないし、僕は実戦の結果でも全くかまわない」と返ってきました。
そう言われると、私は囲碁の神様であるはずもなく、自分が言っていることが100%正しいという自信はありません。加えて説き伏せるほどの英語力などとうてい持ち合わせていません。
そこで私は、文字通り、閉口してしまったのでした。
以来、なんとなく、小さなトラウマになっていました。
でも、最近、プロ棋士のマイケル・レドモンド九段から「僕は日本人に教えるときと、欧米人に教えるときとでは、教え方が全く違う」というお話を聞いて、少し安堵しました。
「日本人と指導対局するときには、やさしくきれいに打ち、ほんの少し勝たせてあげることもありますが、欧米人が相手のときは、はじめは必ず木端微塵に叩きのめす」のだそうです。
「日本人にそんなことをしたら、もう囲碁は打たないと嫌われてしまいそうですが、欧米人は、こちらがどれほど強いかということをきちんと見せておかないと、その先こちらの言うことを全く聞かないから」と笑っておられました。
レドモンド九段の指導経験によれば、「もちろん、個人差はありますが」と前置きしたうえで、自分の意見を主張する欧米人よりも、相手の意見を素直に聞く日本人の方が囲碁の上達は早いとのこと。
その代わり、欧米人は徹底的に論議して納得すれば本当に理解し自分のものにできるけれど、日本人はわかったつもりになって(あるいは、わかったフリをして)実際には理解しておらず、いつまでも身につかないこともままある、とのことでした。
なるほど、囲碁に限らず、私も思い当たることが大ありです。
アメリカ出身のレドモンド九段ご自身も、来日してしばらくは「他人の意見を素直に聞くことができず、聞けるようになって強くなった」とのこと。
アメリカは多民族国家なので、日本のように皆が一緒の価値感や常識といったものは存在せず、あらゆることを全て法で規制するしかなく、「すぐに裁判になりますし、自分の非を認めると損をする、という社会なわけです。だから僕も、いつの間にか『言い訳』することを覚えたのでしょう」というのは、なかなか興味深いお話。
「でも、碁の上達においては、『言い訳』はマイナスにしかなりません。言い訳するうちに、自分自身も騙されて、自分で自分の失敗がわからなくなってしまうからです。失敗を消化して同じことを繰り返さない、というプロセスを踏んでこそ強くなれるのです。その点では、日本は文化的に碁に向いているのかもしれません」との結論でした。
ちなみにレドモンド九段は、日本に来て間もない頃、タイトルを持っているトップ棋士が、「この手を間違えた」と自分の非を認め反省しているのを見聞きしたときに、「それこそ衝撃的に」驚いたそうです。
日本に来て一番のカルチャーショックだったとまでおっしゃっていました。
下の写真は、今年の「ヨーロッパ碁コングレス」(ヨーロッパで毎年2〜3週間にわたって開かれる囲碁のイベント。ヨーロッパの囲碁ファンが大勢集まり、ヨーロッパ各国の選手による大会や、プロの指導対局や講義など、さまざまな企画が盛り込まれます。今年の開催都市はポーランドでした)の様子。
指導に訪れたプロ棋士、大橋拓文六段からお借りしたものです。
指導対局中。
囲碁は実力の上の人は白石を持ちますが、よく見ると、左側の大橋六段が、黒石を持っています。「僕は黒のときに一手目を天元に打つ(※天元とは碁盤のど真ん中の位置です。一手目をここに打つのは珍しい試みです)研究をしているんだ、と話したら、その試みと、自分が白でぜひ対戦してみたいと言われて。だから僕が黒を持ってるんです」と大橋六段。
日本人なら、どんな場合であっても、アマチュアがプロ棋士に向かって「自分が白で対戦したい」などとは、おそれおおくてとても言えません。さすがはポーランド人です。
快くOKした大橋六段も心が広い!
指導対局の後の検討風景。左が大橋六段。
プロの指導を聞きもらすまいと、周囲の若者たちも、熱心に検討に加わっています。
・15歳で既に大きな実力差
──韓国・中国と日本の棋士教育
欧米ではなく、中国、韓国と比べてみると、日本は囲碁界でどんなポジションにあるでしょうか。
今、プロ組織を持っているのは、世界で4カ国。
成立した順に、日本、韓国、中国、台湾です。
20年ほど前までは日本の実力は世界一位でしたが、韓国に抜かれ、ついで中国に抜かれ、現在は三位といってよいでしょう。
日本の全盛期を知る年配のアマチュア囲碁ファンの方からは「日本の棋士は何をやっているんだ」という声が今も聞こえてきます。
でも、実はそう簡単なことではないのだ、ということが、私も10年ほど前からわかってきました。
日本が一位になれない理由の一つは、棋士を育てる環境にあります。
日本の場合、多くの棋士は高校に行きません。
中学を卒業するや囲碁の勉強に打ち込むためです。
このことに違和感を覚える方もいるかもしれませんが、なんと、韓国、中国の場合は、小学校にも行かずに囲碁道場に通う子供が多いといいます。
そこで、15歳の時点で、日本の子供と、韓国・中国の子供とでは、囲碁の実力に大きな差が開いてしまっているのです。
でも、「プロになれないかもしれないのに、子供を小学校にも行かせない」という決断は、日本人にはなかなかできないことだと思います。
さらに、プロになってからの環境も大きく異なるようです。
例えば中国では、プロの中でもトップ棋士たちは国家チームに所属し、その国家チームのメンバーは毎日、国が管轄する「中国棋院」に集まり(多くはそこに寝泊まりし)、朝から晩まで、一緒に研究を重ねています。
中国の元エース、常昊九段(1976年生)は「一人の時間も強くなればなるほど必要ですが、集団で勉強するという行為は必要です。特にトップ棋士どうしの集まりは絶対に必要です。集団の研究のよさは、結論が出ることです。でも、ただ暗記するのではなく、自分の理解がなければだめですね。理解して整理して初めて吸収できる。そうでなければ忘れてしまいます」と話されています。
でも、それは、日本でいえば、井山裕太六冠(2)と、結城聡十段と、平成四天王(張栩九段(3)、山下敬吾九段、羽根直樹九段、高尾紳路九段)と、三大棋戦のリーグ在籍棋士たちが日本棋院に集まり、朝から晩まで毎日一緒に研究している、ということ。
そんな光景は、全く想像もできませんし、あり得ないことです。
・「芸」か「勝負」か
──独創的な一手を追い求める日本と、勝負にこだわる世界
囲碁の捉え方も、日本と、韓国・中国では大きく異なるようです。
中国出身の日本棋士、孔令文七段(4)のコメントを引用してみると……
日本の碁には、いわゆる「芸」を重んじる歴史があります。「定石の勉強や、答えの出る場面──詰碁やヨセ──の勉強だけしても芸は備わらない」という考え方が脈々と受け継がれているのです。この曖昧な考え方が、私も素敵な気がしていました。定石や詰碁やヨセだけやれば強くなるだなんて、「碁は、そんな狭いものじゃない」と言い切るのもまたカッコイイではありませんか。だから、答えの出る場面にではなく、答えの出ない無限の局面に挑戦するロマンに芸を求めてしまうのです。
でも、勝負の世界ならば、答えの出る場面を研究した方が絶対に有利であることが、世界の現状から知らされています。
(『碁ワールド』日本棋院。連載「勝負の赤壁」より)
乱暴にまとめると……
日本の棋士は、序盤から妥協せず、最善の一手、美しい一手、自分にしか打てない独創的な一手を追い求める。
そのために持ち時間をどれほど使っても惜しまない。
その美意識が孔令文七段が言っておられる「芸」なのです。
そして繰り出された一手によって、ファンは感動し、局面も優勢になる。
ところが中盤以降に時間がなくなり、うっかりミス…うっかりとはいえ致命的なミスをして負けてしまう。
それでも、「あの一手は魅せてくれた」とファンは喜び、「勝負には負けたが、碁では勝っていた」と満足する。
これが、国内戦の話なら誰も何も言わないのだが、世界戦の場合になると、ファンの声も「なぜ負けるんだ」と変わってくる……
つまり、日本人は勝負より「芸」や「ロマン」を求めてきた。
ということでしょうか。
今も、囲碁を「勝負」か「芸」かと問えば、日本棋士の何名かは「芸」と答えるのではないかなと想像します。
「勝負だが、芸でもある」と中庸の回答をする棋士も多いでしょう。
でも、世界の一線で活躍する韓国・中国の棋士はおそらく全員が迷わず「勝負」と断言するでしょう。
どちらを追い求めてきたのか。
その結果が今表に出ている。ということなのかもしれません。
さて、今年は井山裕太六冠が、「テレビアジア囲碁選手権」という世界戦で、日本人として久々の優勝。という嬉しいニュースがありました。
「世界で勝つ」という強い志を抱く若手棋士も増えています。
これからは、これまでより、日本勢が「勝負」にこだわる時代がやってくる、という予感がします。
「囲碁と日本人」というタイトルからは少しそれてしまいましたが、最後に、孔令文七段のコメントをもう一度引用させていただいて、今回は終わりにします。
日本の碁は、感覚的なもの──一例として、相場感覚や布石の段階での判断力──において、特殊な優れた能力があります。「碁は広く、どの分野も非常に奥深い」という日本の碁の考え方を、私は今も捨ててはいませんし、日本の碁が素晴らしいという気持ちは一度も揺らいだことはありません。(略)
日本は対局を楽しむアマチュア囲碁ファンが大勢います。囲碁を通して多くを学ぶことができるという伝統的な文化があります。これは確実に中国や韓国より優れており、羨ましがられている側面であり、決して絶やしてはならないものです。また、伝統的な日本の魅力である「芸」もまた衰退させてはなりません。日本としては、誇りを持ってこれらを後世に世界に広めていくべきだと私は思っています。(略)
日本の「芸」に憧れ、でも世界で勝てなくなってしまった現状に悶々としていた私に、父(聶衛平九段(5))の言葉はとても響くものでした。「碁が後世に残るとしたら、絶対に『芸』であってほしい。日本の囲碁界が証明してきたように、残るものは必ず『芸』だ。でも、今を勝ち抜きたかったら『勝負』にこだわるしかない」。私は、いい言葉だと思っています。そして、前向きに、囲碁界のために私にできることは全てやっていくつもりです。
(1)マイケル・レドモンド九段
(2)井山裕太六冠
(3)張栩九段
第2回「囲碁」とコンピュータ 参照。
(4)孔令文(こう れいぶん)七段
中国出身。来日後、日本帰化。中国時代を「当時は、ケ小平さんが、父と僕をかわいがってくださっていて、そんな中で育った僕は、世間を知らなければ、礼儀も知らず、本当にやりたい放題でした」と振り返る孔七段。「母(※中国女流棋士の先駆的存在、孔祥明八段。国家チームのコーチも長年つとめる)は、このまま中国にいてはこの子はダメになると思ったのでしょう(笑)、僕を日本に送り込んだのです」と語る。本文最後に引用した言葉のとおり、日中のパイプ役を買って出て、日本の若手陣の中国遠征や、中国の大会への出場を実現させ続けている。熱い心を持った有言実行の人。
今をときめく井山裕太六冠も、小学生のころ強い中国に遠征したことがあります。そのとき出場した子供大会での成績は、出場選手中、真ん中あたり。生まれて初めて自分より年下の子供に負けるというショッキングな体験も。以来「どんなにもてはやされても、世界に出れば僕は真ん中あたり、と思っていましたから、慢心することは一度もありませんでした」と語っています。
孔七段の「日本の若い人たちにも、井山さんのように、強い中国を肌で感じて欲しい。その経験は、必ずこれからの囲碁人生に役立つ」という言葉には説得力があります。
(5)聶衛平(じょう えいへい)九段
中国が現在のプロ制度になってからのプロ第一号。世界最強棋士の一人。1984年から始まった日本と中国の勝ち抜き制の団体対抗戦「日中スーパー囲碁」で主将をつとめ、中国を三連勝に導くなどの大活躍。「鉄のゴールキーパー」の異名をとり、日本にも広く知れ渡りおそれられた。当時は国民的大スターにして英雄で、その人気は「日本で言えば、長嶋茂雄人気と美空ひばり人気を足したぐらい」(孔令文七段)という圧倒的なものだった。現在は囲碁道場を開き、後進の指導育成にも多大な力を注いでいる。
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