2014年06月10日

第10回:「囲碁」の考え方


はじめに嬉しいニュースをexclamation
久々に日本主催の世界戦「グロービス杯 世界新鋭囲碁選手権」が誕生し、5月に第一回大会が開催されました。

20歳未満のプロ棋士が参加し、予選を勝ち上がった16名(日本6人、韓国3人、中国3人、台湾1人、ヨーロッパ1人、オセアニア1人、北米1人)がトーナメントを行うもの。

そして、日本の一力遼七段が、優勝 を飾りました。

準優勝の許家元二段も日本代表(台湾出身。日本棋院所属)。
世界戦での日本勢どうしの決勝戦は17年ぶり。

17年ぶりに「どちらが勝っても嬉しい」と安心して決勝戦を見守ることができた日本囲碁ファンでした。

日本の囲碁界がじわじわ 活気 を帯びてきている気配を感じます。



---「囲碁」の考え方---

さて、今回は、私が個人的に印象深い、棋士の言葉をご紹介します。

囲碁の考え方は、多くの分野で「お手本」とされています。

古くは、戦国武将が戦略を囲碁に学んだ逸話が残されていますし、現代も「 経営 に役立つ」、「 政治の交渉 に取り入れて欲しい」という多くの声が聞こえてきます。

個人的なレベルでも、棋士の武宮正樹九段は、
「碁をやっていたから、どんな問題も乗り越えてきたし、これからも立ち向かえる」
と話されています。

では、「お手本」となる囲碁の考え方とは、どのようなものなのでしょうか。


もし「囲碁とは、簡潔に言うと、どういうものですか?」という問いを、プロ棋士に投げかけたら、100人から100通りの答えが返ってくることでしょう。

「神様にしかわからないゲーム」、「簡潔には答えられません」といった回答もあるでしょう。

私はずっと「強い人は正解がわかるけれど、自分は弱いから次の手がわからない」と思いながら対局をしていました。

プロ棋士が集まって勉強している場に出入りできるようになり、まず最初に驚いたのは、「そうじゃないんだ!」ということでした。

観戦中の棋士たちが、次の一手を予想していても、全員一致になるケースはほとんどありません。今、どちらが優勢かという形勢判断さえ、「白よし」と「黒よし」に分かれることがしばしばです。

つまり、囲碁の次の一手の選ばれ方は、正解か否かではなく、どう考えてどう打ちたいか、によるようなのです。

その「どう考えるか」の部分が百人百様なのが、囲碁の深みなのでしょう。

「囲碁とは何か?」とは、「幸福とは何か?」とか「愛とは何か?」とか「私とは何か?」と同じように、哲学 の命題のようなものなのかもしれません。



---直感が今のあなたの全て---

では、印象深い棋士の言葉をご紹介しながら、全く届かないかもしれませんが、「囲碁とは何か?」を、探っていくことにします。

まずは、前述の武宮正樹九段の言葉から。

「碁に強くなりたいですか。
それとも、目の前の一局に勝ちたいですか」


これは、武宮九段が、日本各地や諸外国で講演されるときに、はじめに皆さんに尋ねる言葉だそうです。

するとほとんどの人が、特に欧米人は「両方だ!」と答えるそうです。
それはそうですよね。

でも、武宮九段は、両方の望みをかなえることは無理だと言います。

「勝ちたいと思うと、危険を冒さない方向に思考が傾き、見たことのある自分より強い人の手を真似することが多くなるから」だそうです。

「でも、自分が打ちたいように打たないと、強くなれないからね」


「直感は、今持っている自分の実力」

これも、武宮九段の言葉です。

碁をはじめたばかりの人にはさすがに無理ですが、ある程度強くなったら、直感で打つ手が一番よいとのこと。

「旅先の朝ご飯をおいしいと感じるのと同じでさ」と武宮九段。

「正しかろうが正しくなかろうが、そんなことはどうでもよくて、その人にとっての『真実』でしょ?」。

さらに、次の言葉には思わず笑いました。

「よく、直感で打つとひどい目にあいますって言われるんだけど、それは錯覚。直感が、今のあなたの全てであり、最善なんだよね。こんなこと言ったら怒られちゃうかな」

一生懸命 ふまじめ ~囲碁トッププロの生き方~ -
(武宮九段の言葉が詰まった1冊)



---羊の足で走れ---

続いては、王銘琬九段の言葉です。

「羊は羊の足で逃げなければならない」

これは、銘琬九段がアマチュア向けに書かれた本の中の一節なので、ご自身よりアマチュアの心構えの意が含まれた言葉と思われます。

どういう意味かといえば、(以下は私の曲解かもしれませんが)羊は、所詮、羊。オオカミに憧れ、オオカミのかぶり物を身にまとってみても、逃げるときには羊の足で逃げるしかない。

野球に例えるなら、イチローにあこがれてイチローの構えを真似てみても、イチローと同じスイングはできない。
ならば、羊として生きよ。
羊の足で走れ。


「我間違える ゆえに我あり」

これは、銘琬九段の著書のタイトル。
銘琬九段の間違えた場面を紹介し、なぜ間違えたのかをご自身が言い訳する、という内容です。(私も共著で執筆させていただいたのですが、残念ながら絶版となってしまいました)

その中で、勝敗を決する正着(そこに打っていたら勝っていた、という一手)に両対局者とも気がつかずに終わることが、プロの対局でもあると語られており、私には新鮮な驚きでした。

その一局を「その場面で正着を打つべきでした」とまとめ、「それゆえ、その後に打った手はすべてナンセンス」と片付けることもできるだろうが、「果たしてナンセンスだったか。これは私の永遠の問いなのだ」と銘琬九段は語っています。

王銘エンこれを伝えたい2 我間違える ゆえに我あり 〜悪手を打ってもえーじゃないか〜 (王銘琬これを伝えたい) - Kindle版

なんだか、抽象的な内容になってきてしまいました。

武宮九段は、銘琬九段のことを「囲碁の考え方が、棋士の中では僕と近い」と話されています。

なので、今回お二人の言葉をご紹介したわけですが、棋士約五百人が「囲碁」という山をそれぞれ500通りのルートで登られているとしたら、その中の二つだけ、それも「近いルート」から見える景色をご紹介したということ。

「近い」というからには、「遠い」ルートもあり、そこからは全く違う景色が見えるものと思います。



---相手に逃げ道を与える「攻め方」---

少し具体的なことも、と思い、急遽話題を変えることにします。

囲碁の考え方が、具体的にはどのように役立つのか。
私には一つ、すぐに思い当たることがありました。
「攻め」についてです。

囲碁で「攻め」とは何か。
これもまた、棋士百人に尋ねれば百通りの答えが返ってきそうな気がします。

囲碁を覚えたばかりのころは、相手の石を取ることが「攻め」だと思いがちです。(※「相手の石を取る」については、パンダネット・ヒカルの囲碁入門♯1をご参照ください)

ところが、強くなるにつれ、「攻め」の認識は変わっていきます。
「取る」というような、すぐに出る結論は求めなくなるのです。

ちなみに、武宮九段に「攻めとは何ですか?」と質問したところ「う〜ん、そうね〜」としばらく考え込まれた後に「相手の形を崩すこと」という返答が戻ってきました。

相手がたった一手でも不本意な場所に打つことになれば、それでもう十分満足し、攻めの効果はあがったと見るのだそうです。それ以上、しつこくつきまとうこともしないのかもしれません。

武宮九段の「攻め」は、たいへん高尚なので、どう役立てればよいか難しいです。

私が「なるほど」ともう少し庶民的なレベルで納得した囲碁の「攻め」は、「相手に逃げ道を与える」という考え方でした。

取れそうな相手の石が現われたときに、完膚無きまでに打ちのめそう、とか、絶対に取ってやるぞ、というような徹底的な攻撃を仕掛けると、相手も必死の形相で抵抗してきます。

すると、こちらにもホコロビはあるはずで、何かのはずみに攻守が逆転する可能性もでてきます。

でも、早くから「こちらに逃げてください」と、相手があまり得にならない道を差し出すわけです。

すると相手は喜んでその道を進んでくれます。
そのスキに、こちらは要所を押さえるわけです。

この「攻め方」は、めったにないかもしれませんが、日常生活で大喧嘩になったときには多いに役立つはず。

どの道を差し出そうかと頭を巡らせるうちに、冷静にもなってくる、という利点もあります。

私も経験ずみです。
役立て方が庶民的すぎたでしょうか。



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posted by si at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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