2014年07月31日

第11回:「囲碁」が語源の日常用語


囲碁の普及と技術向上に貢献したナンバーワンは、インターネットでしょう。

ネットさえつながっていれば、世界中の誰もが、自分の部屋にいながら対局でき、毎日トッププロ棋士の対局を観戦することが可能なわけですから。画期的、飛躍的な出来事です。

では、インターネット以前、囲碁の普及と技術向上に画期的に、飛躍的に貢献したのは誰でしょう。

その人物を2人あげよと言われたら、徳川家康呉清源(ごせいげん)先生 だと答えようと思います。

徳川家康は、今でいう プロ制度 の基盤を築いた人です。

囲碁は6世紀に中国から日本に伝わり(という説が有力です)、以来、千年以上の間に、愛好家の層が少しずつ広がり、技術も少しずつ向上していったことでしょう。

ところが江戸時代に入ると、囲碁は 家元制 が取り入れられ、とりわけ強い碁打ちたちが、本因坊家、井上家、安井家、林家 の四家に分かれ、競い合いながら研鑽を積むようになりました。

この四家には扶持(今でいう給料)が与えられるようになり、四家の代表が将軍の前で対局する「御城碁」(おしろご)というイベントは、実に 220年 続いたという記録が残っています。
(*徳川家康や御城碁については、日本棋院さんのHPもぜひご覧ください!
http://www.nihonkiin.or.jp/history/04.html


この間に、囲碁の技術は文字通り飛躍的に向上。庶民の人気や関心も一気に高まったのは言うまでもありません。



---呉清源先生のことを知ってほしい!---

呉清源先生は、昭和3年、14歳のときに来日された天才にして偉人です。

19歳で、日本の天才棋士、木谷實先生とともに「新布石」を研究、発表し、その奇想天外で柔軟で自由な発想に、日本中の囲碁ファンが驚かされ魅せられました。

25歳からは、読売新聞社主催の「打ち込み十番碁」が始まります。

呉清源先生が日本を代表する人気実力棋士を相手に十番勝負をし、勝てばハンディキャップを加えていく、という企画。

これが新聞掲載されると、読売新聞の購買数は 10倍 にも跳ね上がったと聞いています。

呉清源先生は数々の実績を残され、1984年に現役を正式に引退されますが、その後も「21世紀の碁」の研究を進められ、精力的に研究会を開き、トップ棋士たちの指導を続けられてきました。

その呉清源先生が、今年5月19日に、100歳exclamation になられました。
7月23日、呉清源先生の『百寿を祝う会』(読売新聞社主催)に行ってまいりました。


さて、私などが呉先生を紹介するなど恐れ多いことですが、少しだけ。

呉先生は研究会の全てをビデオに収録されていました。
12年ほど前、呉先生の書籍をお手伝いさせていただいた折に、そのビデオを100本以上見る機会に恵まれました。1日だけ、研究会を見学させていただいたこともあります。

研究会の多くは、棋士が自分の打った対局を呉先生に見ていただくという形で進みます。「○○戦で、相手は○○○さん。私は黒番です」などと伝えてから、一手目から碁盤に再現していくわけです。

そして、多くの棋士は、呉先生に一番見てもらいたい場面・・・・・・例えば、50手目が敗因だと思っている場合は、49手目まで並べて、先生なら次の一手をどう打つかを尋ねたいわけです。

なので、49手目までをさっさと並べようとするのですが、その途中、例えば30手目で、先生は「ん? そこに打ったの?」と尋ねてきます。

「はい。それで、相手はここにきて…」とさらに進めようとするのですが、先生は「変ですね、それは」と先に進ませません。

「変」だと言われた棋士は、しばらくキョトン 目 としているのですが、呉先生が「こっちの方がいいでしょ?」と示した手を見て、やがて唖然とし、それから感動する。

敗因は50手目ではなく、それより20手も前の手だった、と悟る。
こんな光景が、ほとんど毎回のように繰り広げられていました。

王立誠九段は、呉先生の研究会に通うようになってから、棋聖位を奪取するなどの輝かしい戦績を残された一人。

王九段も「呉先生は 神様。一瞬で、悪い手を感じ取ってしまうのですから」と話されています。


『百寿を祝う会』では、大竹英雄名誉碁聖が、やはり「呉先生は人ではない」というお話をされていました。

大竹名誉碁聖がプロになったとはいえまだ少年だったころ、先輩棋士たちが50人ほど対局している部屋に行ったとき、呉先生にしか目がいかなかったのだそうです。「どうしてかというと、呉先生の後ろだけが光り輝いてぴかぴか(新しい)いたから」だと言います。

「この人は神様なんだ」と大竹少年は知ったそうです。

「だって、実際にこの目で見てしまったんですから」

『百寿を祝う会』には、棋士も大勢集まりました。
呉先生のお弟子さんの林海峰名誉天元と芮廼偉九段(中国から!)、趙治勲25世本因坊、井山裕太六冠、山下敬吾九段、張栩九段……...。

呉先生のことは、囲碁を知らない方々にも、もっともっと知られてほしいという思いを新たにした一日でした。

2006年に製作された伝記映画『呉清源〜極みの棋譜〜』も、機会があればぜひご覧ください。

呉清源 極みの棋譜 [DVD]
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---「囲碁」が語源の日常用語---

さて、前置きが長くなってしまったのですが……
今回は、長い歴史をもつ囲碁がどれほど 日常生活 に入り込んでいるのか、ということをお伝えしたく、囲碁が語源の言葉をご紹介しようと思います。

普段何気なく使っている言葉の中には、意外なほどたくさんの「語源は囲碁用語」のものがあるのです。


最も頻度が高いものは、「ダメ」でしょうか。

そんなことしたらダメでしょ。
この「ダメ」は、囲碁用語が語源。

囲碁では、黒の陣地と白の陣地の間にできたスキマ……そこに打ってもどちらの陣地も増えも減りもしない「無駄な目」のことを「ダメ(駄目)」と言います。

碁を覚えたての頃は、何かいいことがあるかもしれないと思ってダメに打ってしまい、強い人から「そこはダメだよ」と叱られるわけです。

「何の得にもならない無駄な手だよ」という意味ですが、これを日常でも使ううちに、だんだん禁止色が濃くなっていったのでしょう。


「結局」も日常でよく使われます。

「局」は、将棋や囲碁の盤をさし、試合は一局、二局……と数えます。
一局の流れのうち、終盤戦のことを囲碁では ヨセ と言いますが、このヨセは、平安時代には「けち」と呼ばれていました。「結着」の「結」の意味です。

つまり、平安時代の囲碁用語が「結局」の語源なわけです。
「けじめ」も、「けち」から派生した言葉だという説もあります。


「玄人」「素人」もそうです。

現在は囲碁では力の上の人が白石を、下の人が黒石を持って対局しますが、日本に囲碁が渡ってきた当初は逆だったそうです。つまり、強い人が黒。黒の人⇒くろうと。弱い人が白。白の人⇒しろうと。と変遷したようです。

「こいつはそんなに強くないだろう」と甘くみてかかったところ、相手がたいそう強く、黒の人がはだしで逃げたところから「玄人はだし」の言葉が生まれたという逸話も有名です。


「上手」「下手」は、読み方がいくつかあります。

このうちの「じょうず」も囲碁用語が語源。
江戸時代に入り、本因坊道策という天才が、現在につながる「九段」「八段」「七段」という合理的な段位制を整えたのですが、それ以前は、九段は「名人」、七段が「上手」と呼ばれていたのです。
「下手」という位はなかったでしょうから、「上手」と対になって後から生まれたのでしょうか。


面白いところでは「八百長」も囲碁にまつわるエピソードが語源です。

明治時代に八百屋の長兵衛さんという人がいて、皆から「八百長」と呼ばれていた。彼には伊勢ノ海五太夫という囲碁仲間がおり、本当は長兵衛さんの方が強かったのだが、八百屋の品物を買ってほしいので、ときどきわざと負けて機嫌をとっていた。ところがあるとき、本因坊秀元という強い碁打ちと互角の勝負をしたことで、長兵衛さんが本当は強いということが皆にばれてしまった……というエピソードです。

実話かどうかははっきりしないのですが、ともかくこのエピソードが「八百長」の語源。

最近は悪質な八百長が増え、マイナスイメージが強くなってしまいましたが、当時はもっと可愛げのある言い回しだったような気がします。

「八百長はなしだよ」「それじゃあ、負けて泣くなよ」なんて笑い合いながら対局を楽しんでいたのではないでしょうか。


「布石を敷く」
「一目置く」
「先手をとる」
「後手をひく」


なども、さほど頻繁には使いませんが、生活に浸透した言葉ではあるでしょう。


もう一つ、「手」手(パー) にまつわるものでは、「手抜き」があります。

普段は、「手抜き工事」に代表されるように、「手抜き」をして褒められることはありません。でも、囲碁では、単純に手を抜くこと。

相手が「次はぜひここに打ってください」と促してきたときに、そこに打たないことを言います。もっといい場所に打てば「あのとき手を抜いたのが勝因だった」と褒められることになりますし、いい場所に打たなかったときには「あの手抜きがよくなかった」と反省することになります。

つまり、「手抜き」するのは、大事な場所がよくわからない初心者か、いつどんなときにも広い盤面で一番大事な場所を見極められるとても強い人か、のどちらか。「プロは、まず手抜きから考える」と初めて聞いたときには、日常語の「手抜き」を先に覚えた私は、妙な違和感を持ったものでした。


野球 野球の「先制点」「中押し」「ダメ押し」という表現の中の「中押し」にも面白いエピソードがあります。

囲碁では相手が「負けました」と言って途中で投了すると「中押し勝ち」となります。これは「途中」で「押し切って勝つ」の略で、「ちゅうおしがち」と読みます。

これをあるとき、長嶋茂雄氏が新聞で目にされて「野球でも使える表現だ」と、ご自分がコメントするときに使うようになったそうなのです。

ところが新聞にはルビが振っていなかったために、長嶋氏は「なかおし」と読んでしまっていました。それで、野球で使われるときには、そのまま今でも「なかおし」となっているようです。

これからも、囲碁用語が意外なところから日常的に広まっていくことがあるのかもしれません。


最後に、囲碁が日常となっているプロ棋士たちの、対局のあとの検討(反省会)の会話をご紹介しましょう。

「ここに打つ方が乙だったかな」「ああ、乙だね」

「この手でこう打ってみる?」「おっ! これは盛られてるね」

「それだとさ、ここにゾロッとハネられるでしょ」「ああ、ゾロだね」


検討はたいてい高尚すぎてついていけず、どう乙なのかも味わえず、盛られた毒が将来どのように悪さをするのかも読めず、ゾロっという感触も語感でしか楽しめないわけですが、これは囲碁用語でもなんでもなく、石を人のように扱い、自身も石の気持ちになったりしながら暮らしている人たちなんだなあと感動を覚えてしまいます。





posted by si at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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